移住者インタビュー
文化を発信できる街、受け入れてくれる街です。
- 移住者
- 中川 裕美 さん
- カフェ経営
- 50代
- 2015年3月移住
- 広島県から
移住のきっかけを教えてください。
広島出身の私は、大学進学と同時に九州へ。
その後、北九州市で就職をして、計8年間、そのうち2年間は門司港で暮らしました。広島の山間部で育った私にとって、門司港は魅力ある海峡の街、私を社会人として一人前に育ててくれた街という思い出深い場所です。
その後、一旦は広島に戻りますが、2015年の3月にカフェをオープンするために、門司港へ戻ってきました。
なぜ門司港を選びましたか?
15歳の時にマルコ・ポーロに影響を受け、私もいつか彼のようにシルクロードを旅してみたいという強い想いを持つようになりました。大人になって、実際にシルクロードを旅するようになってからは、特に新疆ウイグル自治区の文化に強く魅了されています。このカフェは、民族衣装や生活雑貨などのコレクションと現地の伝統料理を通じてウイグルの文化紹介をする場所でもあるんです。
明治以降、門司港は大陸や海外との交易の中で発展してきた歴史を持っています。新しい港として開削されたため、しがらみも無く、新しいもの好き。よそ者からしても垣根が低く、町に溶け込みやすかった。初めてこの街に住んだ20代の時、私自身もそう感じました。懐深く、いい意味で「放っておいてくれる」大人な街、それは大陸の空気感にも似ていて、私の中ではシルクロードの終着点は、ここ門司港と言っても過言ではないくらいです。ウイグルの文化を発信するには、ぴったりの場所だと感じています。
今後の目標は?
この街は、観光地になり移住者も増え新しい街になりつつあります。ですが、私の祖父が戦時中、門司港から出征し帰ることがなかったという悲しい事実もあるんです。祖父が最後に見た日本の風景が、ここ門司港だと思うと、私が今ここにいることには感慨深いものがあります。
様々な文化や人が共生し、数多くの喜怒哀楽を抱えてきたこの街で、私も新門司港人として生きていく。そうすることが、かつてこの街に暮らし育ててもらったことへの恩返しにもなるのではと思っています。
マルコ・ポーロが生涯旅をしたように、私の人生という旅もまだまだ続きます。